本指0嬢の本懐

予約でうまる1日、都市伝説なのでは?

売れないデリヘル嬢が考えたこと


少し前までなかなか売れず、お茶を引く期間が長かった。(今も忙しくはない)

何もしない時間が多く考えることが増えたので今日はいつもと毛色を変えて、一つ聞いてほしいことがある。


化粧品に浪費してしまう女の気持ちと
風俗で遊ぶ男の気持ちは
近いものがあるんじゃないか。


お客様と話が弾んだ時にだけ聞くことがある。
「風俗で遊ぶのって、どういう感覚なんですか?」

 

「わたしはホストに行ったことないけど、でもきっと女性がホストに行くときの気持ちとは多分別物ですよね。もっとフランクで、でもあ〜贅沢したな〜ってなるものですよね。普通。」と。


大抵「ん〜〜、ホストとキャバクラとも違うし、なんだろうね!」と返される。

擬似恋愛に、擬似セックス。
わたしは訳がわからなかった。

 

私は一時期射精をさせるために必死だったがどうやらそれは違うらしい。
驚いたことに男性は風俗で「いちゃいちゃしたい」「恋人感で」という声が多いのである。
それって結構、(風俗嬢の私が言うのもなんだが)、「無駄」なんじゃないか。だって絶対目の前の女のこは彼女にはなってくれないし勿論男性もそんなことをちゃんとは望んではいないからだ。

疑似恋愛。この言葉にいつも悩まされていた。

 

疑似恋愛というと、そしたらやっぱりホストに通う女と感覚は同じでは?と思うが、そこには圧倒的な差がある。

女はホストで「心の隙間を埋める」。
場合によっては恋愛に発展する。相手の生活を支えたりもする。
「擬似」だと分かっていても何か一つの対象に時間やお金を長期間かけて育てていくことはきっと、女性の本能で、そして心の隙間をしっくり埋めていくのだ。そこにゴールはしばらくは無い。ハマればハマるほどゴールはまず遠ざかっていく。

反面、風俗はきっと「心を満たす」と表現した方が近い。
もっとこう自分自身の日常・仕事・人間関係という土台がしっかりあった上での、たまの贅沢という印象。非日常。
あってもなくても困らない。なんなら性欲処理なら1人でも出来る。家でもどこでもできる。
だけど男性はホテルを取り、女を待つ。そしてゴールは小一時間で訪れる。
後に残るものは何も無い。

 

"無駄"にお金をかけることなら私も得意だ。

私は浪費する。
すぐに消えてしまう化粧品に湯水のようにお金をつぎ込んでいる。

化粧品で心の隙間までは埋められないが、大部分はざっくりと満たされる。
明日はこの新しい化粧品を使うからちゃんと外に出て仕事をしよう、となる。言わば活力だ。

カウンターのお姉さんに褒めちぎられ気持ち良くなったところで
キラキラした化粧品たちを選ぶ。悪い気はしない。
それも毎月。酷い時は毎週。


何かの本で見たことがある。
¥1,000以下の化粧水も、¥5,000以上の化粧水も大体の成分は同じである、ということを。

私も正直、違いがどうテクスチャーがどう肌質がどうなんてあまり考えてないのだ。

SNSで爆発的に知名度をあげるのも所謂プチプラのものが多い。


では何故私は仕事後の疲弊しきった身体で閉館20:00のデパートに急ぎ、薬局で買うより何倍もする化粧水を買いに行くのか。

「満たされたいから」である。

お気に入りのキラキラした化粧品たちに囲まれ、それらを贅沢に選ぶ。

あの何時行っても艶やかで美しい笑顔の女性たちにお客様扱いをされ、もてなされる。
お気に入りの販売員がいたら指名もできる。指名を始めたらがっかりすることはない。


これは深夜に某量販店に駆け込んでプラスチックのボトルを¥1,000で買うのとはまた訳がちがうのだ。
1人で自室でオナニーするのとは訳が違うというのときっと同じだ。

結果手に入るもの(化粧品・射精感)は同じでもその過程にお金をかける「無駄な贅沢」をすることで生活は潤う。心は満たされる。


最近私はこの事に気付き始めた。


この人はいま「贅沢」をしに来ている。無駄こそ贅沢なのだ。


射精をゴールにしていた頃の私は女であることだけで価値になると思っていた。
保湿剤がプラスチックの質素な容器で肌を潤すためだけに売られているのと同じだ。

でも彼らが求めているのはそこだけじゃない。
私たちだって綺麗な瓶のボトルに入った保湿剤を良い気分で毎晩使いたい。

彼らだってきっとそう。

 

私1人では贅沢品にはなれない。